あとがき

あ と が き

この手記は私の養父、故石井幸夫が妻トシを亡くして一時元気をなくし手持ち無沙汰にしていることを心配した私の妻、美千代が提案して、乗り気を出したのがきっかけではじめられたものである。
 共にする食卓での昔話を幾度となく聞いていたこともあったのだろう「お父さん、いろいろな経験をしてきたのだから、作文にしたらいいんじゃない」の一言が、この克明で鮮明にともいえる記憶の底を汲み上げるようにして、エピソードが湧出したのである。
 ノートの表紙には[私の人生つれづれ物語]とあり、市販の大学ノートに筆ペンで手描きされたこの手記は、昭和五十八年(幸夫六十八歳)から書き始められ、平成一年(七十六歳)の七冊で終了まで途中休みをしながら八年間をかけて書かれている。
 きっちりと書かれた生原稿は、難しい旧漢字で丁寧に書かれており、すべての漢字にルビが打ってありほとんどが正確に使われている。高等教育を受けていない人がこれだけ見事に間違いのない漢字で埋め尽くされた文章と、確かな記憶を持ち続けていたことは驚きに値する。しかもかなり高齢になってからの記述でもある。そのため時代考証や年号の記述を確認する作業はまことに簡単に済み、あらためて調べなおしをしなくても安心できたのはありがたかった。 素人でもあるし、年齢的なものもあり繰り返しが多かったり、前後のつながらない所などがあったがこれらのことを整理するだけでこの物語は進んだ、それと昔のことでもあり、とても現代の都市化した町からは想像しがたい田舎の山深い貧村の方言のような、現在の人には理解できない風習とか言葉づかいなどは、理解の範囲に訂正したりしたが大筋はほとんどいじってはいない。
 運も強い人だったような気もするが早逝した兄の子の私を育てながら病気がちの妻を抱えて驚異的な粘り腰で、戦中、戦後の混乱期に家庭を支えて、私の祖父仁太郎そして祖母ツルを篤く見取り、長い闘病生活を過ごした妻トシを守り、見送り、その後に書き始められたこの手記を書き終え、父石井幸夫は平成十五年十二月十九日朝、九十歳で安穏として永眠した。
                                              (感謝・合掌)