遠い日の思い出

                 
●わたし
 私は、小三の三学期のとき左目の瞳にケガをしました。
 遊んでいた時の事故です、失明するかもしれないと診断され、
 翌日、相模原国立病院に入院して、
 四十五日間病院にいて、二回の手術をしました。
 が、左目の視力は0.01です、二重、三重にものがぼやけます。
 瞳というレンズが壊れたのですからしかたありません。
 入院中いろいろな人を知りました。
 身体障害者の人だけがいる病棟にはショックを受けました。
 今は差別語かな?せむしと呼ばれる脊椎カリエスの人たちや
 手や足のない人、普段見かけることのない重い障害を持った
 大人や子供の人たちが入院している病棟でした。
 傷痍軍人という戦争で怪我をした人たちもたくさんいました。
 義足、義手、義眼、松葉杖、車椅子…このとき知りました。
 結核病棟には青白い顔色をした頭の良さそうな人たちが、
 本読み機のようなもので漢字だらけの本を読んでいましたし、
 眼科病棟には目から上を包帯でぐるぐる巻きにした人とか、
 白い杖をついて歩く人などホントにいろいろな人がいました。



          




●K先生
 五年生のときの担任です。
 絵を描くのがとても好きな人でした
 図工の時間には神社や山によくスケッチに行きました。
 放課後は絵の好きな生徒を連れてあちこちに描きに行きました。
 私は絵は好きなほうでしたがk先生のオカゲでとても好きになり、
 横浜市のコンクールで銀賞になり、朝礼で表彰されました。



          




●名前は忘れました
 中学に行く途中に、朝鮮人の人たちが住んでいる長屋がありました。
 そのころは南も北も一緒に朝鮮人と呼んでいました。
 そこの子どもたちのボスでした。乱暴ものだという事でした。
 私はなるべく顔を見ないようにしていました。
 バス通学の同じ時間のバスになる事がよくあったからです。



          





●上のうちのお姉さん
 この人は私の家の上のうちの二番目のお姉さんでした。
 とてもおとなしい人で、小さな声で静かに話すので
 聞き耳を立てていないと聞こえないほどでした。
 好きな人ができて、自転車でデートしているのを見たことがありました。
 夏の花火の日、山の上の畑でしゃがみこんで泣いているのを見ました。



          





●まんがくん
 本当の名前はただしくんです。
 マンガの主人公のようにパッチリとした目なので。
 とても明るくて元気な人でした。
 そして皆を励ましたり、笑わせるのが得意でした。
 今何をしてるかなー。



          






クレオパトラさん
 本当の名前はゆきえさんです。
 クレオパトラの様な髪型なので
 先生がつけたあだなです。みんなにうけました。
 はっきりと発言する人でしかも正論です。
 男子も一目おいている存在でした。